めちゃイケのよゐことか、モーニング娘。の道重さゆみとか

http://d.hatena.ne.jp/toronei/20091017/M

私もテレビがいじめの原因のように言われるのは大嫌いですし、この話題にいじめを持ち出すのは本質的ではないと思うのですが、例えばよゐこ有野に対する扱いの悪さのような問題は重視したいと思っています。


昭和の頃と比べてお笑い界の何が変わったかといいますと、かつてはお笑い全体が芸能界での地位が低く弱者の立場であったために、自ずと芸人は弱者の立場で物事を見ることが多く、それが芸にも反映されたのでしょう。お笑いの地位向上によって強者となった芸人には、やはり強者ゆえの弱者への優しさが求められるわけですが、残念ながらダウンタウンの次の世代の吉本芸人たちは事務所の内部対立などによって屈折させられることが多く、強者としての振る舞いができなかったということだと見ます。


内部事情はよくわからないので立ち入りませんが、総じて言えるのは「ダウンタウンという壁に苦しめられた」ということで、次世代は先人と違うことをしなければ成功できないはずなのに、ダウンタウンがスタンダードとなったためにそれと異質な笑いは評価されにくくなり、そのために芸人は内弁慶と化すことが多かったのでしょう。*1これに関しては大御所の側がフォローしてほしかったところで、特にナインティナインをチンカス呼ばわりしていた松本人志の責任は大きいと思います。ただ、さらに次の世代になると後輩をいじる立場になる機会がまだ少ないにしてもそれほど深刻ではなさそうで、それはM-1グランプリができて松ちゃんもそこに関わっているのが大きいかもしれません。


これは私自身が語るより引用した方がよさそうなので、長めですが以下をお読みください。

90年代の吉本って、ダウンタウンナインティナインの時代だったはずなんですよ、でもナイナイだけがあまりにも評価されなかった、もちろんナイナイのことを本で「チンカス」呼ばわりしていた、松ちゃんにも責任は大きくあるんだけど、ナインティナインって、これだけ吉本の若手芸人ファンに嫌われていた吉本芸人っていないと思うんですよ、また少し上の先輩とかに、自分たちより先行して売れた事に対する妬みをあれだけ受けたというのも、過去に例がなかったんじゃないかと思うぐらい酷いものがあった。あの風潮はそのままキングコングに対する、baseよしもとでのアンチ気質に受け継がれて、いまはまともにNON STYLEとプラスマイナスが怪我させられていますが、やっぱりここ15年ぐらいの大阪の若手お笑い芸人を巡る環境はおかしいことになってると思います。

ナインティナイン千原兄弟バッファロー吾郎FUJIWARAより、やっぱりどう考えても評価されるべき何ですよ、個人の好みはあくまで別にしたら、でもファンも芸人もそれが出来ない、その歪んだ価値観が大阪の笑いそのものを、僕は歪ませてしまったと思わずにはいられない、これが結果的に僕はメジャーとマイナーの価値観を混乱させてしまって、いま大阪でメジャー志向というものを、お笑い芸人が持つ事を難しくしてしまっている。マイナーやカウンターの笑いばかり評価して、メジャーで天下取っている人たちをきちんと評価できないことが、価値観を評価軸をおかしなことにしてしまっていないでしょうか?

その結果、本来メジャーと言われるべき事がマイナーになったり、その逆になったりというような、メジャーとマイナーとカウンターの線引きが無茶苦茶になっているのが、いまのお笑い界の不幸に繋がっていないでしょうか? お客さんが多く集まるライブを、マイナーと言っていいのか? 売れている芸人がやったらメジャーで、売れていない芸人がやったらそれだけでマイナーとかカウンターなのか? 身内受けのお遊びみたいなことが、本当にマイナーで、メジャーに対するカウンターなのか? 東京のテレビで売れてる人がやっているというだけで薄いメジャー狙いの浅い事と言っていないか? この15年ぐらいの大阪のお笑いに携わった、それは演者も作り手もファンも含めて、みんなが一度見つめ直さなくてはいけないことなのではないか? ということを僕は考えずにはいられないです。やっぱり一度お笑い界って「ガラガラポン」の大きな波にのまれてしまった方が良くないか? と、どうしても思ってしまう。 
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080201/I

そのガラガラポンをやってくれそうな人というと、やはりNON STYLEでしょうか。だからこの2人には一漫才師以上の存在になってほしいと思います。


事情は大きく違うものの、モーニング娘。もまた一つの、いや複数の壁に苦しんできました。どんなに売れても色物と見られてきた、それが受け入れられる度量があった90年代後半にあってはむしろアドバンテージであったものの、やがて世間の風向きが変わってつらくなってきたこと、また80年代を生きた人たちによって必要以上にアイドルであることを求められてきたことなどから、こちらもいつしか内弁慶となったことは否めません。


そんな中で、道重さゆみは歌唱力においては残念ながらおそらく歴代メンバー中最下位であるため、人気の割りに歌パートがほとんどもらえないことが多いものの、早くからラジオ番組を持つ*2などバラエティ向きの素質を評価されていました。そしてここに来て多数の番組に出るようになり、ハロヲタ以外の方々にも目にとまっているかと思います。モーニング娘。のメンバーがそれに嫉妬していじめるなんてことは絶対にないと信じますが、ファンやおそらくはスタッフの間には不穏な空気があるようで、さゆみんが毒舌で嫌われることでモーニング娘。のイメージが悪くなることを警戒する意見が見られます。また内弁慶を打破する動きをアイドル寄りと思われていたさゆが見せていることに戸惑いがあるのかもしれません。ハロプロにも「アーティスト派」と「総合エンタテイナー派」の対立があるようで、ミュージカルでやっぱりせりふがほとんどなくてラジオでその時の話をして泣き出したことで道重叩きが一部で起こった*3なんてこともありましたし、歌だけでは露出に限界がある中でソロの仕事を増やす方針が見える中で久住小春が卒業することになったのもそんな対立が原因ではないかという疑いがあります。そんなわけで、吉本の天然素材〜WACHACHA世代の苦しみと重なる部分がうかがえます。

*1:いじめとは内弁慶のことだと思いますので、これこそが本質と考えます。

*2:http://hicbc.com/radio/hyper/michishige/index.htm 2006年10月開始

*3:参照http://d.hatena.ne.jp/itaittei/20081016

阪神はポスト巨人か

城島選手の阪神タイガース入りが決まり、さらに戦力補強が予定されているようで「これでは巨人と同じではないか」という非難があるかと思います。城島はマリナーズが放出した選手なので違いますが、FA選手を穫る場合は移籍元球団に申し訳ないとは思いますし、金銭的リスクからもこれに頼るのはよくないと言えます。しかし、エース級投手や主軸打者は育てようとしてもうまくいかず、必要な時はドラフトやFAでリスクを覚悟で穫らなければならないというのも事実で、野村監督も巨人の悪口を言いながらも「ケン・グリフィーJrを穫れないか」なんて言っていたこともありました。やはりFA戦線に参加せず暗黒時代再来も困ります。


どんなチームでも優勝できるのはいいチームなのであって、今年の巨人も賞賛されるべきなのは間違いないところですが、やはり以前より人気が落ちたのも否めないわけで「巨人の人気低下」が事実に反する「野球の人気低下」と時に言い換えられるのは歯がゆいものです。巨人については日本人メジャーリーガーに「日本代表」の地位を奪われたのが大きく、それを受け入れて「12分の1」として生きるしかないでしょうが、巨人に代わって阪神が盟主になるべきか、というのは阪神ファンとして悩むところです。


AKB48の猛プッシュに対してうざったいと思いつつ、自分の贔屓のタレントにもあれくらいやってほしいと考えるのも似ているかもしれません。プロモーションに湯水のように金をつぎ込めるのであれば、芸能マスコミに取り上げられるのはそれほど難しくないのですが、本当の人気者になるのは大変なことで、ジャニーズですらKAT-TUNの後はいまいちということを思えば「大規模プロモをやれ」とは言いにくいと思っています。

「大丈夫だから」と言ってあげたい


重要なのは、私は高橋愛のファンや関係者の一部にはつらいことも言わなければならないと思っていますが、愛ちゃん本人を責めるつもりはないということです。


2004年あたりのことを思えば、もうモーニング娘。は終わりかもしれないと思われていて、卒業メンバーと松浦亜弥Berryz工房でやっていくのかという見通しもありました。しかしその後もモーニング娘。はしぶとく生き残り、それにより「娘。はもう終わりだから」という理由で「ヲタの死に場所」としてBerryz工房を選んだファンにとって微妙なことになりました。すなわち作為的にファンを増やしたことが、かえってベリ自身にも暗い影を落とすことになったのです。*1その後はファンが入れ替わったこともあり、2007年後半あたりから「ベリは娘。の代わりにはなれない」ということで開き直って別の道を行くようになったようです。


ハロプロに刺激を与えるには、年上組20人以上を一気に切り離すよりは多様性を維持できるということからBerryz工房ハロプロを離脱する方がいいと思ったことがあります。この案の問題は「ハロプロを出てどこに行くのか」というのと、「厄介払いの印象が強くなる」ということでやや寝つきが悪いことでした。切り離される側の問題としては「THEポッシボー並みになっても構わないか」というところでしょうか。


高橋愛のファンは推しがモーニング娘。の中で変わることが少なくて、他のグループに移ることが多いという印象があります。これはごっちん推しにも近い傾向がありましたので「○○こそがモーニング娘。である」という意識が後藤真希高橋愛に対しては起こりやすかったのでしょう。特に高橋愛の場合は在籍期間の長さのために強まり、また風当たりの強い立場に置かれることで歌唱力の優位を盾にする*2様子が見られます。


グループの中である人物の存在がいわば重石になるというのはありうるとは思いますが、実際にそうだと指摘するのはそのメンバーを推していない立場でも、推している立場でも避ける方がいいと思います。やはりハロプロはあらゆる個性が輝く場であるべきですからね。
卒業を望むメンバーがいるなら「いなくなってもモーニング娘。は大丈夫だから」と言って送り出すのがいいと思いますし、それも本人の意思表示より前には言うべきでないでしょう。高橋愛の場合最大の相談相手はおそらく新垣里沙でしょうから、決断の時にはガキさんが背中を押すことになればそれが決め手となるでしょう。

*1:ライブマナーの問題はこれと無関係ではないでしょう。

*2:なにしろ、現状では「歌にこだわる」のと「高橋愛にこだわる」というのがほとんど同じですからね。

物語は続いていく

「大物ブロガーだそうですよ旦那」「誰がデブやねん*1

いや、大物ブロガーというのはAKB48の元関係者Perfumeを悪く言うような人のことでしょう。

*1:大物ゲストと称して例えば伊集院光が出てくるという定番のネタより。

卒業の意義

まず結成時のメンバーは元々モーニング娘。を目指したわけではないので、別の目標に向かうためにモーニング娘。を離れるということがありましたが、やがて中澤裕子以降はモーニング娘。を離れたメンバーと、残ったモーニング娘。が共存共栄するという「のれん分け」としての卒業という制度が確立します。しかし、特に5期メンバーが諸事情によりなかなか目立てなかった中での「一人立ちできるメンバーを順に卒業させる」という方針はモーニング娘。の求心力低下を招きました。そしてジリ貧からやがて解散かと思われた中でモーニング娘。は意外な粘りを見せ、卒業メンバーの活動が必ずしも順調でない中、リスクの大きいソロよりはモーニング娘。の看板を守るのがいいということになり、石川梨華を最後に卒業はなくなったかのように見えました。


とは言え、「卒業させられるメンバーがいない」と見られることもまた鼎の軽重を問われるわけで、紺野あさ美小川麻琴によって「別の道に進むための卒業」が復活しました。ここで問題になるのはモーニング娘。の外に目標があるものの、性格的に本人から卒業を言い出しにくそうなメンバーの存在です。


http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20090930#p2
http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20091031#p5


アーティスト性あるいは物語性を何に見出すかということが、はっちまんさんと私の対立点のようです。私は紺野あさ美道重さゆみのような歌唱力に難のあったメンバーを推したこともあって、ステージでのパフォーマンス以上にその生き様全体にアーティスト性を求めるようになりました。やがて予定調和の卒業システムが行き詰りを見せたところで、その閉塞感を打破する充実をモーニング娘。が示したことでその思いはさらに強まりました。


その頃、結成時点で技量が明らかに不足していたため、言われたことを言われた通りにやるだけで評価される時期が長かったBerryz工房がようやく次の段階に入り、意外性を求められるようになるとかえってモーニング娘。などにはまだ及ばないと見られるようになりました。新興勢力以上にモーニング娘。や元メンバーらにこそ、挑戦者たる自由さはあったのでした。


そこで問題になったのが(またか)、モーニング娘。の中にもいる意外性ということでは物足りないメンバーのことで、こちらは技量不足だったというよりは、なかなか受け入れられない中で得意分野に徹した結果、歌とダンス以外における弱さを指摘されるようになったわけでした。そして「モーニング娘。の本分は歌である」ということが盾になりました。


そしてさらに意外な展開を経てモーニング娘。のリーダーになった高橋愛に、中澤裕子に並ぶカリスマを帯びさせることで「物足りなさ」を克服し、合わせてモーニング娘。の歌へのこだわりを守るという意図があったのでしょうか。それゆえかどうか、先輩メンバーを切り離すことによりハロプロリーダーにもなり、そしてまもなく飯田圭織モーニング娘。卒業時の年齢を超えて歴代2番目の高齢メンバーとなることを控えて、それまでずっと「できない子」だったはずの道重さゆみモーニング娘。の枠を超えてバラエティで活躍するようになり、また久住小春後藤真希に匹敵する早い卒業をするのを見て、ようやく本人から卒業の意思が示されるのが待たれているかもしれません。


以上がモーニング娘。ないし高橋愛の話で、ここからははっちまんさんへの問いかけです。
歌唱力はともかく、生き様には点数の付けようがないわけで、客観的な評価は人気という結果論でしかできないものですが、「実力で負けているはずはないのに人気で負けている」相手がいることが嫌なのかもしれません。こと高橋愛に限っては、バラエティで使えないのはイメージを守るためではなくて普通に力不足だからだと思いますし、個人の人気において圧倒的でないのも、決してファンが低年齢志向だからというだけではないと私は考えます。


また、あれほどベリキューに力を入れられてきた中でモーニング娘。が一定の人気を保ってきたのは、アイドルというよりモーニング娘。が好きなんだという人がそれなりに多いのであって、これ以上のシフトはモーニング娘。がなくならない限りありえないと思います。大体一ヶ月の間を置いたエントリに矛盾があるようで、いったい現在のモーニング娘。のファンとは何者なのでしょうか。


いや、いやそんな込み入った意図があるわけではなく、単純に「追いかけるのに疲れた」ということでしょうか。「俺が疲れたから引退してくれ」なんて言う人はいないものの「追いかける必要がないくらい目立つ活動をしてくれ」という主張は結構見られます。それでも「モーニング娘。高橋愛から離れるわけにはいかない」というのは理解できますし、ポジショントークも大変ですよね。

行く川の流れは常にして…

「大人の事情」という言葉が暗に示すのは、誰かの大人気ない行動である。
                 ハゲ・ヅラ(1870〜1943 ハンガリー)

この間、今岡の不振を嘆いていると「新庄が何をしたっていうんだよ」と言われました。

( ^▽^)<娘。DOKYU!

「やらない」ことの意地

しばらく「LIVEツアー」はやらないつもりです。少な
くても2、3年は、と考えています。

ここ3年くらいのんびりと音楽活動をしてきました
が、今年の冬からはできるだけたくさんの歌を、曲を
作品として皆さんに届けられるように、レコーディン
グなど製作することに集中したいんです☆

http://blog.oricon.co.jp/ayablog/daily/200908/26


松浦亜弥は先日ツアーを終えて充電期間に入ったわけですが、今までやっていたことをしばらく止めるということにはそれなりの意図があるはずだと思いますが、「やること」の意図はそれを見ればある程度読めるとしても「やらないこと」についてはそれができないわけで、「何かあるはず」で納得するには不安が残ります。


状況は大きく違うものの「やらない」ということの意味を考えるのにいい例があります。

今日は謝らなければいけないことがあります。

8月の17、18、19の3日間で予定していた『ダイヤル38』の大阪公演を、中止することになりました。

ボクの周りでは「ひとまず延期」という言葉が使われていましたが、今のところ先の予定があるわけでもないし、この状況でそういった言葉を公表してしまうと、余計な期待を持たせてるだけ持たせてしまって、実現できないという場合もあるので、「中止」とさせてください。

理由は色々とあるのですが、簡単に言ってしまうと、ボクがキレちゃったということです。

実現に向けて汗を流してくれていた人もいるし、関西のお客さんからは、「待っています」というたくさんのお手紙をいただきました。本当に多くの人の気持ちを裏切ってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。

もう少しボクが我慢すれば、誤魔化しながらの公演をすることもできたのでしょうが、それじゃ東京公演よりあきらかに質が落ちてしまうし、やはりお笑いを作ろうとする人間として、どうしても許せない部分がありました。
http://nishinoakihiro.laff.jp/blog/2009/06/post.html


よくわからないもののやっぱり意地があるのだろう、くらいしか読み取れないのですが、キングコング西野のブログを読むと見た目に反して笑いに相当なこだわりを持っていることがうかがえます。それに実力・実績が伴っていなければ叩かれるのも仕方ないでしょうが、その点は私は問題ないと思うもののやはり見た目のためか実力を疑われることが多いようです。


芸能界は実力主義年功序列が同居しているところで、それゆえ売れている若手は先輩の嫉妬を受けることが多いなりそれに数多くのタレントが苦しめられてきたわけですが、「天狗の鼻をへし折ってやる」という気分は世間にも少なからずあり、しかもネット文化が(いわゆるモヒカン族の考え方はそれを忌み嫌うはずなのに)より強化してしまったというのが大いなる不幸と言えます。


松浦亜弥の場合は、むしろハロプロの事情により強制的に世代交代させられたという感がありますが、「事務所内での立場がよくない」というのは共通するようです。そして吉本もハロプロも(他のところでも多いと思います)、事務所的に力を入れてやろうとしたことは大抵うまくいかない印象があります。いずれにせよ、タレントに活動への不満があるならば本人の力で乗り越えるのはもちろんですが、周囲のスタッフと、そしてファンがうまく支えることが必要でしょう。


参照:西野亮廣へのとあるファンの想い
やはりどう考えても、この件で西野がネットで叩かれる理由はない - 昨日の風はどんなのだっけ?