5期メンバーとは何だったのか(中編)

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5期メンバーがなかなか受け入れられず、さらに加入時期による宿命としてピークアウトの責任をかぶせられる悲惨な立場に置かれた中で、2003年には6期メンバーを迎えることになりました。そして6期が5期加入時に比べて当初から存在感を示した*1ことは、5期に「谷間の世代」というイメージを生むことにもなり、問題はさらに深刻なものとなりました。


それでもチャンスは遅まきながら巡ってきました。歌唱力の面で期待の高かった高橋愛モーニング娘。さくら組や2期ミニモニ。で重要な役割を与えられ、そうしたユニットの活動期間は短かったもののやがてモーニング娘。での歌唱の中心を担うことになっていきました。小川麻琴中澤裕子保田圭の役割を引き継ぐかのように「モーニング娘。のツッコミ所」の立ち位置を引き受けることになり、最も叩かれた新垣里沙もまた、後輩を得たことが当初の悪印象を払拭するきっかけとなり、最もモーニング娘。を愛する者という賞賛*2をも受けるようになりました。


そして紺野あさ美が輝くきっかけは、モーニング娘。の活動の本流を離れたところにありました。最初はほんの遊びのつもりだったのかもしれないフットサルの活動は、やがてガッタス・ブリリャンチスHPの名で真剣さを高め、数々のライバルチームとともに芸能界にちょっとした旋風を起こしました。それはASAYANの与えてきた物語から離れた後のモーニング娘。にとって最も重要な、まさに筋書きのない物語となっていきました。さらにはようやく順番の回ってきたソロ写真集の反響もあり、一度はシングル曲のリードボーカルという過分とも言われかねない地位に立つことにもなりました。


やがてモーニング娘。は、メンバーを少しずつ卒業させて最後には解散して終わるのではないかと思われた時期を乗り越えて、二度目の完成に近づくことになります。そんな新境地への契機にはガッタスでの経験がモーニング娘。にもいい影響を与えたとはしばしば言われることですが、それでも往時のように芸能界を席捲する勢いにまでは及ばず、小さくまとまったという印象を拭えないところもありました。悪童的な4期や6期に比べて5期はけなげな「いい子」という評価を得ていましたが、それは「前に行けない」という批判と裏表でもあり、また「小さくまとまった」象徴とみなされる原因ともなったのでした。


そうした中で、次の卒業が意外なところから出てきました。すなわち紺野・小川の2人がそれぞれ大学受験と留学を理由に卒業を決意するというものでした。当時はまだその理由の先にあるものが見えなかったために大きな不安もありましたが、一方では丁度その時期に宝塚歌劇のスタッフによるミュージカル「リボンの騎士」において高橋愛が主演を成し遂げたことと併せて、5期がいよいよモーニング娘。の物語の中心に立ったことを感じさせるものでもありました。

*1:新メンバー決定からモーニング娘。への合流までの期間が最も長かったのは6期でした。その原因には5期の受難に対する反省があったと思われます。

*2:これとて当初は「モーニング娘。モーヲタはいらない」という非難の対象でした。