アイドルとは

中澤裕子にとっては、なぜかやらされることになり、結局は開き直って引き受けたもの。
安倍なつみにとっては、納得はしていないものの、自然にそうなってしまうもの。
矢口真里にとっては、重い十字架。(詳細略)
石川梨華にとっては、壁を越えるために必死に伸ばした能力。
藤本美貴にとっては、モーニング娘。に入ることで解放されたかもしれないくびき。
吉澤ひとみにとっては、あまり気にしていないようで実はそうでもないかもしれないもの。
後藤真希にとっては、決してとらわれることのないもの。
松浦亜弥にとっては、強く求められ、それに応えることはできるがそれだけでは満足できないもの。


と並べたところで、よくわかりません。


いにしえのアイドルというのは、聖職者的な性質を強く持っていたようです。そして、そのルックスや実力よりも、聖職者としてのけなげさに魅かれていたファンが多かったようです。私が物心付く前のことでした。
このシステムは当事者にとってはひどいもので、自殺者もいたほどでした。そして、そんな物語をさんざん利用しておきながら、最後にはそれをぶち壊しにする*1という惨劇が起こり、一つの時代は終わったのでした。
その後、世間は少女に修道士的なものを求めることはやめ、代わりにより実力を求めるようになりました。しかし、今でも懲りない奴らはいるようです。


モーニング娘。の現メンバー中でもっとも「修道士的(→アイドル的)」なのは誰かと考えてみました。久住小春は昭和アイドル的とされることもあるようですが、それにしてはスタイルが良すぎますし、キャラクター面でも違うと思います。道重さゆみの行動は一見アイドル的ではありますが、その中にはけなげさよりしたたかさを感じます。
一番当てはまるのは新垣里沙かな、と思いました。ちょっと意外な結論でした。*2


もう1人忘れてはならないのが、嗣永桃子です。そのアイドルぶりは重要無形文化財級ではありますが、個人ならともかく、桃子のアイドル性が突出しかねないBerryz工房に対しては、なんとなく危うさを感じてしまいます。桃子を目立たなくさせる位に他のメンバーががんばってほしいものです。できればアイドル性以外の方向で。


ハロプロはアイドルかもしれないけれど、「単なるアイドル」であってほしくはない、私はそう思います。

*1:犯人は20年を経た現在、東京は下町の某所において(以下略 

*2:昭和的なのは意外じゃないって?意味が違うでしょ。