ハロプロにおけるアイドル性、または非アイドル性


上で「続き」と書きましたが、本論はこちらです。
ハロプロにはさまざまなキャラクターがそろっていて、その中には典型的アイドルキャラもいるわけですが、そういう人、具体的には石川梨華嗣永桃子が目立ちすぎると、ハロプロのイメージが固まってしまい他のメンバーが評価されないことになりかねないという危惧はあります。(こんな言い方をすると「石川さんを馬鹿にするな!」と言われますかね?)


で、アイドル性とそれ以外の要素のバランスというのは重要な問題で、例えば中澤裕子が卒業したときに「モーニング娘。はアイドル性に傾いた」と言われたのは、歌唱力の問題というよりは(裕ちゃんは上位ではなかった)アイドルのど真ん中から遠いところにいる1人が抜けてキャラの幅が狭くなることがマイナスになると考えられたわけです。このときのもうひとつの問題だった低年齢化は、世代交代のペースがゆるくなったことで克服されましたが、キャラの幅の問題は小川麻琴が抜けたダメージが気になるところです。


これと別に気になるのが処女性の問題で、「そんなのギャグで言ってるんだろ?」と思いきや、リダイレクトの警告のように本気で求めている人もいるのです。
この処女性というのは広い意味で、ギャル文化への対抗軸と思われる「純粋さ」の要求なわけですが、「変化しないこと」を求められることが成長の妨げになる可能性は大いにあります。しかも「あの子の目標はビッグになることではなく、俺の女になることだ」と言いかねないわけで。


そういうわけで、私は「kawaiiを世界に」には懐疑的なのです。それは「かわいい」の意味が広すぎて、ハロプロに有利な意味で使われるとは限らないのと、「かわいい」以外の要素も持っていてほしいと思っているからです。
私が重視しているのは「自然⇔人工」という対抗軸で、ハロプロメンバーは整形手術はしてほしくないし、極端にキャラを偽装するのもよくないと思っています。


あと、気になったのは

まず「笑ってるだけ」について。「笑っていいとも!」の特番にバラエティに慣れていない女優が大量出演しますが、大抵こうなります。
単に慣れていないだけかもしれませんが、単にそれ以上の権限が彼女たちにないことも理由の一つです。よく出てくる「とりあえず笑っとけ」っていうのも一種の業界内ギャグでよね。

なのです。
女優の場合、バラエティではじけすぎると女優としての品格が損なわれる、という考え方もあるのです。
しかし、モーニング娘。はコントをやる番組も持っているだけに、バラエティでのセンスも求められるわけで、何もできないと低く見られる可能性があります。
何もしないほうがカリスマとか言われる人もいるのに、ハロプロでは何もしないことで馬鹿にされるかもしれない、という不公平さを感じます。