痛井ッ亭。さんへ

反応していただき麻琴真に感謝いたします。

個々のアイドル達を敬ったり、「アイドル」概念に平伏したりしないと閉鎖的日本的共同体から排除されてしまう、というほど、「アイドル」は権威ではないと感じます。

そういう意味での「権威」も、弱いながらもあると思います。特に、かつて山口百恵松田聖子らに熱狂した名残
りを引きずって生きているような方々や、一部のジャニヲタあたりの世界観の中では。

しかし、同時に、アイドルの受け手(アイドルヲタク、ファン、マニアなど)が形成する層、アイドルを買い支える層に対しては、UFAテレビ東京も、「アイドルは処女性を堅持しなければならない」という態度を表明しました。アイドルを発信する側は、アイドルの受け手に於いて「アイドルの処女性」というものが権威的に機能していると判断し、それを護持することが商業的にも合理であると判断したのでしょう、そして、その判断は(悲しいかな)正しいのだろうと思われます。

実のところ、藤本美貴をあんな目に遭わせた主体は、モーニング娘。のヲタであったとは言い難いし、ハロヲタであったかも怪しいと考えております。むしろ、モーニング娘。を弱めることが利益になるであろう、他のアイドルと呼ばれる代物の関係者や支持者、あるいはハロプロとは縁が薄く他のアイドル勢力と関係が深い芸能マスコミの影響が大きかったのではなかったかと思います。または、アイドルの反対側勢力の関係者、すなわちモーニング娘。をアイドル概念に押し込めておくことが利益になる人々の思惑もあるのでしょう。

前段で山口百恵松田聖子の名前を出しましたが、それらやモーニング娘。のような別格の存在、あるいはPUFFYPerfumeのような別格とまでは言えなくても独特のスタンスを持った存在にとって、アイドル概念に合致するから価値があるということは少なく、むしろ概念を作ったり壊したりすることができ、またそうあるべきだと思います。ただ、そのどちらにもなりきれない存在にとっては、そんなよくわからない概念に生かされることが益にこそなれ、害にはならないということかもしれません。
我々が「古臭いアイドルなる概念」から逃げるための障害になるのは、ハロプロが「別格」や「独特」の存在だけでなく、「どちらでもない」人たちをも抱えているため、そのあたりへの配慮が必要なこと、言うなれば「一人だけの体じゃない」ことだと思われます。あの時、「影響」を考慮した対象は、モーニング娘。だけで収まるとは考えにくいのです。
2007年春の時点で、もはやモーニング娘。が「下の世代の論理」に引きずられてしまうほど、そちらをUFAとしても重視せざるを得なかった、それがあの忌まわしき判断を招いたのでしょう。では矢口真里はどうだったのかといえば、彼女とハロプロキッズ(あ、書いちゃった)の関係を思えば、あの時やはり同様の考えを「自主的に」したのかもしれません。

以上「権威主義が思想として生きているというより、利用価値があると思われているのが問題である」ということを改めて説明いたしました。


なお、「5期の壁」に関しましては、加入から7年を経た現在においても生きた問題として考えるべきと思いますが、私の考えは痛井ッ亭。さんとはおそらく違うものでして、5期オーディションは「原点回帰」というよりは「脱ASAYAN」を目指したもので、それがうまくいかず後々まで響いたのではないかと思っております。これは後日詳述しようと思います。