本音が見えるから面白い

昨日の発表のように大きな動きがある時、それは踏み絵かあるいはリトマス試験紙のように各々のファンのハロプロに対する価値観をあらわにします。それは私にとって極めて面白いことですが、本音とは往々にして隠しておきたいものですから、人によっては悪趣味と思われるかもしれません。


道重さゆみがラジオ番組中に泣き出した、というのも、そうした「本音を引き出す」事件の1つでした。

http://d.hatena.ne.jp/itaittei/20081016

 あの涙は、そんなことで落ち込んでしまい、不貞腐れて、何の罪もない家族に対してさえ態度が悪くなってしまった自分自身の弱さ、不甲斐なさに対する悔し泣きなのだ。わたしはそう思う。だからこそ、お姉ちゃんの優しさが身に染みるだけではなく、そうやって慰められている自分を、今また思い出しながら泣きそうになっている自分を、彼女は「恥ずかしい」と言ったのだ。この「恥ずかしい」という言葉には、彼女の誇りが、自尊心が、意地が込められている。


 ラジオで本音を曝け出せることは、道重さゆみの強さだ。


 本当の感情で溢れてしまい、あられもなく取り乱してしまった道重さゆみは、途方もなく美しい。あたりさわりのないタテマエの羅列、毒にも薬にもならない安全な笑顔を振りまく「アイドル」を、彼女は超越する。その美しさは、彼女自身が表現する高度なアイドル性や、写真集やDVDで見せる極上のエロス表現にも増して、尊く、真に感動的な、人間性そのものの美しさなのだ。


本音を曝け出すなんて高橋愛にはできない、かはともかく、やろうとはしていないのは間違いないでしょう。その限りにおいて負けるかもと高橋推しは思ったのかどうか。


http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20081015


この先の展開を先取りしますと、これはヤオに決まってると見えました。*1


http://d.hatena.ne.jp/itaittei/20081017

 それは結局のところ、「事務所による高橋愛ゴリ推し」という事態が実在し、他メン(とそのヲタ)は嫉妬から愛ちゃんを批判・誹謗中傷し、高橋ヲタ側は反撃として他メン(とそのヲタ)を攻撃し返すという、なんとも情けなく、陰惨で、不幸な構図にすんなり収まってしまうのだ。収まるばかりではなく、その地獄絵図に油を注いで、さらに醜く燃え上がらせるのに加担するものとして機能せざるをえないだろう。


いえいえ、おそらくは「不幸な構図」を所与のものとして、精一杯言葉のプロレスを仕掛けたのでしょう。そして必殺技(違うって)ネタニマジレスを食らわされたのでした。


http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20081016

なんか、盛り上がっているみたいで良い傾向じゃないですかね。意見が出ない閉塞感こそが現在の停滞というかブログ文化に取って変わられたテキスト文化の果てだと思いますしね。

あまり建設的な意見は出ないでしょうから続ける意味ないと感じました。
だって、涙の質だとか、言葉遊びに拘泥することは本質ではないもの。
道重はファンが望むように頑張ればいいのかもしれないってことだね。


矛盾しています。適当なことを言って逃げようとするも、うろたえぶりは隠せません。


ハロプロに本音をむき出しにすることを求めるか、と、自ら本音で語ろうとするか、の間には深い相関関係があるようです。

*1:この件について真面目に考えるなら、むしろ高橋愛のリーダーシップを問うことを主とするでしょう。