世間はどこにあるのか

前回エントリで取り上げた「事務所のせいにする」「特定タレントのせいにする」に次ぐ第三の道が「世間のせいにする」です。さらに「大衆のせい」と「メディアのせい」に分けられるのですが、ここではまとめて論じます。


http://d.hatena.ne.jp/musumelounge/20081202
紅白歌合戦の件では、NHKに対する非難がかなり見られました。それはモーニング娘。が出られないことへの腹いせにとどまらない、現代において「国民的ナントカ」を成り立たせる難しさを示しているのだと思います。
「王者の椅子がなくなったのか、それとも王者にふさわしい人物がいないのか」という話がありますが、人々の嗜好が多様化し、それにあわせて芸能界も多様化し、しかし今でも「国民的盛り上がり」への憧れが需要側・供給側ともにあって、例えばワールドカップなどで思い出したように日本中の関心が集まることもある、というのが現状です。ワールドカップは70年以上の歴史があって、しかも全世界が熱狂するものなので紛れもなく本物と認識されているでしょうが、今となっては「世間」「一般人」というのは見えにくくなっており、そんな漠然とした対象に訴えるのは一種の情報戦にも見えます。そのような中でパワーゲームに巻き込まれたくない、地道な方法で成功したいという人が出るのは自然でしょう。


テレビ出演に積極的でないミュージシャンというのは、昔も今も数多くいます。その理由は十人十色なのですが、70〜80年代においては「伝統的な歌謡曲の仕組みと距離を置きたい」という動機が大きかったようです。やがて昭和歌謡システムは衰退して、それにより以前よりテレビに出るようになった人も多いのですが、次の時代の仕組みからも距離を置こうとして引き続きテレビに出たがらない人もいました。乱暴にまとめると、要するに派閥争いなのでしょう。
テレビの中でも紅白歌合戦は特に、エイベックスなど一部を例外としてJ-POP系の方々は概ね消極的と言っていいでしょう。拘束時間が長いとか持ち歌を歌う以外にいろいろやらされたりする不満もあるでしょうが、「昭和歌謡の最後の砦」という意識がそうさせるのかもしれません。そんなわけで、極端には「紅白は演歌だけにしろ」なんて意見もありました。*1


なんだかんだ言っても、そんな難しさをはらんだ中で意地でも国民的番組の看板を守ろうとする紅白スタッフの志は買えると思いますし、カオスの中で毎年意外なところから当たりが出るだけになかなか侮れないものです。そして、世が世なら上記の派閥争いがうまく収まって、例えばB'zもミスチルも普通に紅白などにも出るような世界がありえたのだと思っています。そんな世界であれば、モーニング娘。も史実より幸せな歴史をたどれたに違いないと信じています。

*1:NHK内部でも、紅白を演歌系とポップス系に分割する構想が出たこともあるようです。