ハロヲタ6年目、ブログ3年目の最後に

2008年の最後になって、なんと始めて今年の参戦履歴をフッタにアップしました。上半期の大ブランクがあったものの5月以降は毎月最低1現場をキープして年間参戦数は13でした。やはり現場の魔法にかかる機会が少ないとハロプロの現状に不満を抱えてしまうようなので、来年は最低今年と同レベル、できれば昨年の20くらいを目標とします。


それから、プロフィールを少しいじりました。
旧 枠組みとしてのハロー!プロジェクト
新 大きな流れとしてのハロー!プロジェクト

来年4月以降の枠組みにこだわることは私には難しいと思いますので、現メンバー・元メンバーを合わせた大きな流れに視野を置きたいのが第一です。またアイドルだアーティストだという争いを超えて「ハロプロハロプロだ」という思いが必ずしも理解されず「ドザヲタ必死だな」「謝れ!○○○○に謝れ!」「お前は山崎の犬か」「留保のないモーニング娘。の肯定を」「全体最適はナチ」なんてことを思われてるのではないかという反省でもあります。


上と微妙に関係のある話なので、矢口真里脱退時のことに触れてみます。
http://d.hatena.ne.jp/mame145/20081225

脱退となった時、直接メンバーに話すよりも先に

メディアから情報がいってしまった事。

直接ちゃんと謝らなきゃと思って

メンバーと会う機会を設けたけど

いざ後輩を目の前にしたら泣くばかりで

何も言えなくなってしまったこと。

その時、メンバーが

私たちは味方ですから。

そう言ってくれたこと。

なんとか自分の思っている事とか

全てを話した後に

「卒業おめでとう」

そう書いた寄せ書きの色紙をプレゼントされたという事。

脱退という形じゃなくて「卒業」って言ってくれた。

この時、リーダーなのに

自ら恋愛ご法度の規則を破ってしまった事や

後輩の言葉・プレゼントに自分が本当に

小さく感じたこと。

自分が話した事でメンバーが納得してくれたかは

分からないけれど、メンバーがいて

支えられて、今の自分がいる。

そんな話でした。

これを知って、改めてあの時言われた「矢口らしい」という言葉を噛み締めたくなりました。
こんな話ができるのは事後だからであって、あの時の矢口真里は自分が一人で悪役を引き受けるつもりだったのか、パニックで冷静に判断できなかったか、それとも…そこは本当に永遠の謎かもしれません。ではあの時どうすればよかったのかといえば、まあモーニング娘。を脱退させないのが一番だったでしょうが、なんら権限のない私はその時のモーニング娘。を楽しむことを選びました。…まりっぺに対する後ろめたい気持ちを(今も)引きずりながら。
願わくば、後輩側はともかく矢口側に心の壁はなかったか、という疑いを晴らすような話がどこかで出てくればと思っています。できればコンサートMCで(今度のハロコンがラストチャンスか)。