Be positive!

口の悪さで知られたとある有名ブロガー*1について2chに悪事の噂が流れて、途端にその人ははてなダイアリー・ブックマークともプライベートモードにしてしまった、という事件がありました。
概要はこちら:俺、解雇された派遣なんだが


これに対する論評がこちらです。

155 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/11/23(月) 19:29:14 id:ulzaRzTx0
いやこれ、単に言行不一致ということへの嘲笑と嫌悪が表明されているだけではなく、
(言行不一致が良いか悪いかは別にして、ネガティブな反応が返ってくるのはむしろ当然だろう。
RRDの論法はネガティブな反応の有無と善悪の問題をおそらく意図的に混同して、後者で前者
を相殺しようとしてるだけだね。実に安い手口だ)
実は深いところでは言行は一致してるんじゃないかという、はてサ的価値観や言動への不信が
表面化してるんじゃないの。

テンプレ左翼的ないかにも口綺麗な言説は、それを支える思想や主張、理念や信念が根本に
あるからではなく、本当に弱者や被差別者への深い理解や眼差しがあるからでもなく、
単にネット上で、というかはてなの中で、自分は知的であたまがよくて世界の真理を理解していて
弱者の味方で誠実な心の持ち主で悪を許さぬ正義の味方で愚民とは格の違う優れた人間である、
かのように装いたい(装うという意識すらなくそういう脳内の自己像を信じきってるんだろうが)
という、ぶっちゃkればその場だけ格好をつけられればいい、という幼稚な心性があるだけなのではないか、
みたいなね。

つまり、どこまでも自己愛を満たすことだけが行動原理なわけ。弱者や被差別者は自己愛を慰撫する
ための道具にすぎない。
それは、口先だけの言葉とは裏腹に、本当のところでは弱者も貧困も心底どうでもよく、リアルで
具体的になにか主体的な行動を起こす気も無く、あまつさえリアルではそれらを搾取することすら
平気でする、という利己的人間性と全く同根の精神構造と言っていいだろう。


要するにはてサとは左翼的言説をダシにした、言論的ナルシスト(マスターベーションと言ってもいいけども)
そのものではないのかという認識が、一部表面化しただけなんではないのかと。
まあ、少しまとめて見てれば、はてサがそういう連中なのはほぼ自明なわけで皆なんとなくそう思っては
いたんだろうけども、、はてサとあまり関わったことがないようなクラスタの人たちにもそういう認識が広まり
つつあるのかもしれない。
ブヨの一件はそういうはてサの実態を露骨に象徴するような話ではあったのかもね。

http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1258803690/155


対象への思い入れより、いわゆる「俺はあたまがいい」が上位にあるのではないか、と疑わせる現象は左翼思想と相性がいいとしても本質的には別物と思われ、むしろ往年のテキサイ文化との共通点を感じます。*2テキストサイトというのは、インターネット黎明期のまだ回線が細くて動画などを送受信するのは難しかった頃のウェブの華でした。しかし、その作者はいつしか語る対象より「語ること」そのものに関心を持つようになり一見さんが遠ざかり、ブロードバンド普及やブログシステムの登場などによって衰退していきました。


ハロプロ関係のサイト・ブログもまたテキサイ文化の影響を受けてきました。いわゆるオタク文化のみならず趣味に没頭することに対して日本社会がまだまだ冷たい態度を示しがちな中では、そうした「冷静な視点」がいわばファンにとって鎧となってきました。それゆえハロプロを真剣に愛し賞賛する者には「マジヲタうざい」などという視線が向けられました。しかしハロプロがピークを過ぎ、ネガティブな言説は対象を傷つけると認識されてきたことで、次第にハロヲタ界隈でもマジヲタの比率が上がっていきました。それでも依然として屈折したヲタは多く、そんな感情は推しメンを持ち上げるために他のメンバーやスタッフをこき下ろすことに向かいました。


http://d.hatena.ne.jp/hiro2hiro2/20091123/1258987017
弱かった頃の阪神ファンのように「もうファンはやめる」と言いつつ離れられない例もありますので一概には言えませんが、本当のファンというのはやはり自己正当化より先に対象への愛があるべきで、苦しいときこそ応援する、そして応援というのは楽しいものでなければいけませんのでまずは目の前にあるものを楽しむ、というのが肝要であろうと思うわけです。

*1:本人のブログが見られなくなっているのでその人への批判の一例を示しておきます。

*2:そういえばテキサイ黄金期はウェブのどこに行っても概して左派色が強かった記憶があります。