アイドルシステムを考える
新撰組リアンは恋愛禁止なのだそうです。それは「童貞性」を求められているというよりは「一心不乱」「清く正しく」あたりの話なのだと思います。カシアス島田氏*1によると「甲子園を目指す高校生と同じ」だそうで、つまり高校球児をアイドルの一種と考えると、
技量不足を許される代わりに「清く正しく」を要求される
というのがアイドルという概念の捉え方としてあるのでしょう。そこには「優れた人格が技量向上につながる」という考え方があるのだと思いますが、問題は「清く正しく」の中身が各人でバラバラな上に往々にして恣意的なところであって、ウェブ上でよくある「炎上」のように時にイナゴのように誰かを襲う光景がよく見られます。
そして、勝手に持ち上げて勝手に失望するというのは芸能ウォッチャーのみならずファンだったはずの人*2にも見られます。対象がタレントでもあるいは「タレントに求めるもの」でもそこまで思い入れのある人は少なくて、株の取引のような観点で芸能界を見ている人が多いのかもしれません。*3
しかし、年をとってもタレントを倫理で縛るのはファン側も気が引けるものなのか、80年代アイドルの反省などから「清く正しく」の要求は緩やかに弱まる傾向にあります。そして「愛すべき人柄」というより幅広い概念に置き換わることになります。ただ技量が全てでないことはSMAPなどを見れば分かるはずなのですが、「愛すべき」なんてより曖昧さの増したものでは落ち着かないのか、ウォッチャー・ファンとも(一部ではあるにしても)必要以上に技量にこだわりがちで、それがジャンルごとの先鋭化ひいては衰退を引き起こす姿がしばしば見られます。お笑いがここまで大衆性を保っているのは基準たるべき「面白さ」に「意外性」や「人柄」がかなり多く含まれていて、先鋭化しにくいのが大きな要因でしょう。
だから処女主義も実力主義も、いたずらに一つの基準にとらわれているのは同じで抑えられるべきだと思うのですが、そういう主張に走る人というのは「恋に恋する」ように「思想に恋している」ところが強くてなかなか説得しにくいと思います。私の立場としては、そんなイデオロギーにとらわれる人が増えないようにするというあたりを目標にしたいと思います。