あとがき

「5期メンバーは何だったのか」を書きたかったきっかけは、3年も前の更新にありました。

なお、「5期の壁」に関しましては、加入から7年を経た現在においても生きた問題として考えるべきと思いますが、私の考えは痛井ッ亭。さんとはおそらく違うものでして、5期オーディションは「原点回帰」というよりは「脱ASAYAN」を目指したもので、それがうまくいかず後々まで響いたのではないかと思っております。これは後日詳述しようと思います。

http://d.hatena.ne.jp/JuliusCaesar/20080806#1218048297


「後日」が3年も後になってしまい、その間に私の心境も、さらにモーニング娘。の状況も変化してきましたので、当時書きたかったこととは違うものになったと思いますが、一度宣言したからにはどれほど経とうとも書いておこうとは思っていました。当時の私の心境を知りたい方は当ブログの08〜09年あたりの更新を掘り返してみて下さい。


時間の経過以外にも、ツイッターという字数制限が厳しく批判的なことを語るのに向かないシステムに慣れたこと、それによりブログの更新から遠ざかったこと、そして何よりモーニング娘。の歴史の転換点を前にして「もう誰も泣かせたくない」という想いを私も共有していることから、今をネガティブに描くことは避けようという気持ちが働き、以上のような内容になりました。


ともあれ、これで心おきなく武道館に行くことができます。

5期メンバーとは何だったのか(完結編)

前編中編後編はこちら


モーニング娘。の充実は、新メンバーにとって高い壁になる可能性がありました。もはや全くの新人では誰が入っても叩かれるのは避けられないなら、あるいは真野恵里菜矢島舞美でも入れるのがよいのではないかと考えたほどでした。しかし目の前に現れた9期メンバーはそんな不安を打破するに十分でした。とりわけ鞘師里保の資質は、愛ちゃん推しの人も高橋愛の後継者としての可能性を認めているようです。


9期の登場に続いて、ついに高橋愛に卒業の時が来ることが発表されました。新メンバーを1年足らずの間にある程度育てなければならない、それはまさに最後の試練でした。しかしこれまた「待望の卒業」と言わせないために選ばれたタイミングであったのかもしれません。そして9期は予想以上に速く受け入れられました。それはもう誰も泣かせたくないという、メンバーとファンに共通する想いの為せる業でした。これ即ち5期の功績と言うべきだと思います。新メンバーがこんなによいものならば……ということなのか、矢継ぎ早に10期メンバーの募集も行われ、期待は高まります。


一方、早くにモーニング娘。を離れた2人のうち、紺野あさ美は芸能活動再開後は学業優先ながらフットサルで、そして音楽ガッタスとして足跡を残しました。そして今年からテレビ東京でアナウンサーとして予想以上に目立つ活動をしており、娘。時代のなかなか輝く舞台が与えられなかった頃は何だったのかとも思いますが、実績として認められたのだとも言えるでしょう。また小川麻琴も主に演劇で地道に実績を残しており、これから卒業するメンバーには小さいながらも希望の灯になるはずです。


モーニング娘。の第3の完成は今なのか、それとももう少し先にあるのかまだわかりませんが、日本史にあっても大きな節目になるかもしれない2011年に、10年にわたって荒波を越えてきた4人にまもなく大きなクライマックスが訪れます。

5期メンバーとは何だったのか(後編)


2007年、それまで数々の苦難を越えてきた5期メンバーに最大の試練がやって来ました。予想外の形で、高橋愛モーニング娘。のリーダーになったのです。それまで歌唱の中心ということでエースと呼ばれることはあったものの、そこにリーダーの重みが加わって耐えられるか、モーニング娘。にとって大きな不安となりました。


そこで高橋愛とそれを支える新垣里沙がとった道は、まずは自らがかつて壁に苦しんだゆえだったのでしょう、モーニング娘。の中に壁を作らないようにすることでした。そしてもう一つ、圧倒的なパフォーマンスを追及することでメンバーを引っ張る、それだけは自信を持ってできることだったと思います。しかし、その状況から来た悲壮さは、元来のキャラクターの暗さと相まってモーニング娘。に影を落とすことにもなりました。また歌唱パフォーマンスへの専心も「小さくまとまってしまった」という印象を強化し、さらなる非難を呼び起こすこととなってしまったのでした。


ただ、そのような冷たい視線も全て覚悟の上だったのでしょう。たとえ華がないと言われようとも確固たる技量があれば細くとも長く生きられる、そんな確信がモーニング娘。に関わるスタッフにはあったのだと思います。そして5期を「第2のオリメン」にしようという意志があったのかもしれません。しかし元々ソロ歌手志向だったためにオリメンが持っていたバラバラの野心だけが5期にはなく*1、それは初期からのファンには物足りなさと映ることが多かったのもまたつらいものでした。


2009年にはモーニング娘。を卒業してからもハロープロジェクトという大きなまとまりの中にあった先輩たちがそこを離れることになり、高橋・新垣には新たなハロプロを引っ張るというこれまで以上の重みが圧し掛かってきました。しかしそれも、5期を第2のオリメン、なかんずく高橋愛中澤裕子と並ぶ存在にしてその役割を果たしめることで、長らく受けてきた数々の攻撃に打ち勝つことために与えられた試練だったのだと思います。


やがて世間は相変わらず冷たい中にも変化が見えてきました。音楽界の一部に目立つなりふり構わぬ行動はモーニング娘。にとって厳しい逆風ではありましたが、一方で娘。の堅実さを浮かび上がらせる方向にも働きました。また高橋愛にはない能力を持っていて、しかしあくまで愛ちゃんを尊敬し支える態度を守ってきた道重さゆみの活躍は、歌によるアピールが難しい中ではモーニング娘。を忘れていた人々にとっても訴えかけるものがありました。


そして長く新メンバーを迎えることのなかったモーニング娘。に、久方ぶりの卒業と加入の時がやって来ました。節目の到来はこれまでの長い苦難の時が無駄でなかったことを知らしめ、一方で未来への不安を再来させました。

*1:愛ちゃんの宝塚への夢はそれに近いものでしたが……。

5期メンバーとは何だったのか(中編)

前編はこちら


5期メンバーがなかなか受け入れられず、さらに加入時期による宿命としてピークアウトの責任をかぶせられる悲惨な立場に置かれた中で、2003年には6期メンバーを迎えることになりました。そして6期が5期加入時に比べて当初から存在感を示した*1ことは、5期に「谷間の世代」というイメージを生むことにもなり、問題はさらに深刻なものとなりました。


それでもチャンスは遅まきながら巡ってきました。歌唱力の面で期待の高かった高橋愛モーニング娘。さくら組や2期ミニモニ。で重要な役割を与えられ、そうしたユニットの活動期間は短かったもののやがてモーニング娘。での歌唱の中心を担うことになっていきました。小川麻琴中澤裕子保田圭の役割を引き継ぐかのように「モーニング娘。のツッコミ所」の立ち位置を引き受けることになり、最も叩かれた新垣里沙もまた、後輩を得たことが当初の悪印象を払拭するきっかけとなり、最もモーニング娘。を愛する者という賞賛*2をも受けるようになりました。


そして紺野あさ美が輝くきっかけは、モーニング娘。の活動の本流を離れたところにありました。最初はほんの遊びのつもりだったのかもしれないフットサルの活動は、やがてガッタス・ブリリャンチスHPの名で真剣さを高め、数々のライバルチームとともに芸能界にちょっとした旋風を起こしました。それはASAYANの与えてきた物語から離れた後のモーニング娘。にとって最も重要な、まさに筋書きのない物語となっていきました。さらにはようやく順番の回ってきたソロ写真集の反響もあり、一度はシングル曲のリードボーカルという過分とも言われかねない地位に立つことにもなりました。


やがてモーニング娘。は、メンバーを少しずつ卒業させて最後には解散して終わるのではないかと思われた時期を乗り越えて、二度目の完成に近づくことになります。そんな新境地への契機にはガッタスでの経験がモーニング娘。にもいい影響を与えたとはしばしば言われることですが、それでも往時のように芸能界を席捲する勢いにまでは及ばず、小さくまとまったという印象を拭えないところもありました。悪童的な4期や6期に比べて5期はけなげな「いい子」という評価を得ていましたが、それは「前に行けない」という批判と裏表でもあり、また「小さくまとまった」象徴とみなされる原因ともなったのでした。


そうした中で、次の卒業が意外なところから出てきました。すなわち紺野・小川の2人がそれぞれ大学受験と留学を理由に卒業を決意するというものでした。当時はまだその理由の先にあるものが見えなかったために大きな不安もありましたが、一方では丁度その時期に宝塚歌劇のスタッフによるミュージカル「リボンの騎士」において高橋愛が主演を成し遂げたことと併せて、5期がいよいよモーニング娘。の物語の中心に立ったことを感じさせるものでもありました。

*1:新メンバー決定からモーニング娘。への合流までの期間が最も長かったのは6期でした。その原因には5期の受難に対する反省があったと思われます。

*2:これとて当初は「モーニング娘。モーヲタはいらない」という非難の対象でした。

5期メンバーとは何だったのか(前編)

モーニング娘。の歴史において節目の世代というべき5期メンバーのたどった道を、いつかじっくり書こうと思っていました。しかしなかなか書く機会がないまま「高橋愛モーニング娘。を卒業するまでには」と、来ないかもしれない日を漠然とした目標にしていました。そして来る時が示され、その日が迫ってきた今、ようやくその道程を記すことにしました。


その始まりは2001年でした。当時、モーニング娘。時代の寵児でした。また内的にも一つの完成形と言える状態にあり、それゆえに却って次の一手が問題になりました。一方では結成の当初にあった一種の尖ったところが失われたという主張もあり、新たな「尖り」を、母体であったASAYANから離れていかに生み出すかが課題であったのかもしれません。


一つの方法は、アイドルと見られることを受け入れながらも一流のパフォーマンスを目指すという、忘れられかけていた*1コンセプトの再強化を図ろうというものでした。5期メンバーにおいては主に高橋愛、あるいは小川麻琴にその役割が期待されていたと思います。
もう一つは、当初のアイドルないしタレントとして洗練されていなかったがゆえの荒削りの魅力を再現しようというもので、それを体現していたのは何と言っても紺野あさ美でした。


そんなわけで、5期オーディションにおいてはその時点でのスター性は度外視されていたと考えられます。ただしそれは、5期は失敗だったのではないかという批判を生じました。特に新垣里沙*2へのバッシングは苛烈でした。4人が壁に苦しんでいた中で少しでもチャンスを与えようとしたのか、ユニットの再編が行われました。


しかし、2002年の再編は、それまでのユニットの歴史を踏みにじるものと受け止められました。あの「タンポポ畑」と呼ばれた、その後恒例化したサイリウム祭りの嚆矢となった出来事も、新たに入るメンバーにとってはむしろ悲劇でありました。そして5期メンバーはさらなる苦難の道を歩むことになったのです。

*1:忘れられてはいても消えてはいませんでした。辻・加護にしても決して歌唱力において劣っていたわけではありません。

*2:出演していたCMが5期メンバー決定を伝える番組で流れたという間の悪さゆえに、その後長く苦しむことになったのでした。

金髪の13歳を待つべきか?


モーニング娘。が現状でかなり高い完成度に達しているところに新メンバーの入る余地はあるのかという考えがあります。一方で現状で何かが足りないなら、そこを補う新メンバーへの期待というのもあります。


一方で何が足りないかというと、現メンバーを悪く言うことになるので詳細な話はしにくくて、漠然と「すごい大物」を期待するということになるでしょうか。具体的には後藤真希のデビュー時のイメージの再来を願うことになります。しかしそれは難しいということになれば、次善の策として


(1)田中れいな後藤真希だと思う*1
(2)組織力で乗り切る


が考えられます。もちろん実際に田中れいな後藤真希ではない以上(1)は難しく、(2)が採用されてきました。ただ(2)は現メンバーの物足りなさを前提とした議論であり易々と受け入れ難いものがあり、そのため(1)に近い考え方もファンにはあると思います。どちらも嫌だとなれば、やはり「金髪の13歳」の再来を待望するということになるのでしょう。


過去には久住小春がそれを期待されある程度期待に応えてきました。2005年の時点でそうした素質のある人が来たのであれば、現時点でもある程度可能性はあると思います。それでも賭けであるには違いなく、それよりは「知っている人」を入れようというなら、いっそ真野恵里菜を娘。に入れようという発想もありうるわけですが、まのえりの独自路線を捨てるのはもったいないので採用にしくいでしょう。あるいは矢島舞美を、いやこれはもっと難しいですが、思い切ってモーニング娘。℃-uteを合併させるなら…。


いずれにせよ棘の道が待っているのは間違いないと思います。おそらく2005年あたりからこっちはモーニング娘。を続けることだけでも棘の道を行く宿命を引き受けているのかもしれません。それでもモーニング娘。に誇りを持っていたい気持ちというのは将来も変わらず私の中にあるでしょう。

*1:他メンバーも同様の置き換えが考えられます。

アイドルという魔物 VS モーニング娘。という伝統

アイドルというきわめて多義性を持った、いわば魔物に翻弄されあるいは格闘してきたのがモーニング娘。の歴史ではないかと思います。


モーニング娘。が駆け出しの頃の1998年一杯で終わらせるつもりだったと言われる時期には、もちろんモーニング娘。に確固たる伝統はなかったわけですが、一方でアイドルという概念に縛られることも少なかったと思います。やがて人気を確立していく中でアイドルと呼ばれることが多くなりましたが、その中には広い意味でアイドルと呼ぶ人たちと、伝統的なアイドル文化の継承を期待する人たちがいました。そして後者がモーニング娘。のイメージに縛りをかけようとする中で、伝統的アイドルのイメージから遠い所にいた初代リーダー中澤裕子が卒業後も娘。の伝統の軸として対峙することになります。


そして、モーニング娘。の勢いは長くは続かないだろうという予想のもとで、それを元手に新たなアイドルを売り出すか、それとも娘。のさらなる可能性に賭けるかというところで、はっきり片方の方針が選択されることはなく両にらみが続きました。一時期はモーニング娘。が終わってもハロプロが続く道を考える方に傾いたこともあったと思いますが、やがて娘。の伝統の強みが感じられる事件が起こります。それが皮肉にも新勢力であったハロプロキッズにも関わってきた矢口真里の脱退でした。


正直なところ、モーニング娘。などという色物イメージのあるグループより、松浦亜弥のような正統派アイドル志向の方が普遍的な価値があるはずだという考え方はありうるものだと思います。そしてモーニング娘。にも色物を脱して歌の実力で見せるようにしようという試みがなされました。娘。の方が迷いがありながら今もそうした動きが続いていますが、松浦亜弥の方はやがてイメージを背負いきれなくなりました。そんな中で、注目すべきは色物ということから生まれる一種の不思議なパワーで、これがピークを過ぎてからも現在に至るまでモーニング娘。を支えています。


実は、私はアイドルと呼ばれる存在は好きなのですが、そうした人たちを時に苦しめてきたアイドルなる概念には違和感というか恨みもあります。そしてタレントやファンを苦しめることのないようなアイドル概念の再構築という夢をモーニング娘。に託してきました。モーニング娘。が続く限りは、あるいはそのメンバーが芸能活動を続ける限りは、まだ完全にその夢を捨てないでおこうと思っています。