日本流行音楽史におけるハロプロの位置付け?

http://d.hatena.ne.jp/helloblog/20060726/p5
にいろいろ書いてあるのですが、なんだかBerryz工房には大きな歴史的意味があるようです。
私は洋楽の知識は乏しいのですが、アメリカでは今や見る影もなく(「バブルガム」というのがもともと蔑称と思われる)、日本でも近年ではあまり目立たないジャンルで頑張っているということなのかなと思います。

ユニットのサウンドイメージを考える場合、他社でありがちなのが「まず方向性ありき」の姿勢です。具体的にはHIPHOPダンスユニットとか、R&B系ユニットといった感じでデビュー時にガチガチに固められてしまう傾向があります。デビュー時のプロモーションはそれでもいいのかもしれませんが、アイドル世代の多くは成長期でもありますし、徐々に意外な個性も見えてきてしまい、そこで袋小路にはまってしまうというパターンはよく見かけます。

というのは、レコード会社よりラジオ局(特にJFL*1 )やCDショップなどの問題かなと思います。日本の一般リスナーはジャンルにとらわれるような人たちではないはずですが、業界内外のコンプレックスの強い人がR&Bとかガチガチにしなきゃいけないような思想にとらわれているところがあって、その辺の人たちが「日本にはハロプロなんかがあるからいけないんだ!」と言っている、というのが、現状の音楽界の病理であると思っています。


古くは「歌謡曲」と「ニューミュージック」の対立があって、80年代後半に「歌謡曲」側が自滅する形で衰退し、「ニューミュージック」から発展した「J-POP」の天下になるわけですが、「ニューミュージック」の論理として「歌謡曲に取り込まれたくないから、俺たちはテレビには出ない」というのがありました。そういう人たちも、「敵」が弱体化した90年代にはテレビにも出るようになり、一時期壊れていたテレビと音楽界の関係はある程度回復しました。そんな中で、テレビをきっかけに人気を得るアーティストも多数おりました。その1つがわれらがモーニング娘。ですね。(ふう、やっとハロプロが出てきた)
そんな90年代にあって、R&Bなど当時のアメリカで既に主流であったものの日本では不遇だったジャンルもありましたが、それらの音楽も徐々に台頭してきました。当時のリスナーは、とにかくいろいろな音楽を求めており、また異物に寛大でありました。ですから、モーニング娘。のようなものも「許されて」いたのです。しかし、その頃から「歌謡曲化したJ-POP」を忌み嫌う人の勢いが強くなってきました。その流れは、音楽シーンから「ごちゃまぜが生む活力」を奪っていくことになります。その頃、モーニング娘。に加え、松浦亜弥を一本立ちさせたハロプロでしたが、音楽界の流れのなかではしごをはずされてしまったのです。それまでに得ていた「国民的アイドル」の称号があったため、しばらくは世間への影響力を保ちますが、それもジリ貧でした。


長くなりましたが、要は「はしごを外された」というのが、ハロプロの苦しさではないかと思うわけです。この状況を打開するには「音楽とはR&Bやヒップホップのことだ」と思っている人たちを説得する必要があります。そして根本的な問題として「音楽では世界に対するアメリカの比重があまりにも大きい」というのがありまして、アメリカから逃げるわけにはいかないのです。誰かがジャパニーズインベージョンを起こしてくれればいいんですけどねえ。*2

Berryz工房の登場前にもU-15の市場はありましたが、どちらかというとCM/ファッションモデルか子役か、あるいは男性専科な写真集や撮影会モデルといった仕事が中心だったと記憶しています。
他社でもキッズビジネスを展開したところがありましたが、アニメ関係の仕事(声優やマスコットキャラクター)やミュージカルなどが中心でした。
いわゆる専業歌手という市場はほぼなかったに等しく、よってこれだけのファンを開拓した功績はすばらしいものがあります。

まさかSPEEDを忘れていたわけではないでしょうが、SPEEDには「後継者がいなかった不幸」があります。ミニモニ。などもありましたが、こちらはキャラ先行で色合いが違いました。その意味では、Berryz工房に対して「SPEEDの骨を拾う」という期待はしてもいいと思います。
そういえば1998年のバレーボール世界選手権にはSPEEDがかかわっていましたね。

*1:J-WAVE,FM802など

*2:宇多田ヒカルは失敗したという以前に、そもそも資格がなかった。ジャンル的には完全にあっちの主流だから