アイドルの道、ヲタの道

「の」を入れることでキーワード誤爆を回避しておきました。


http://d.hatena.ne.jp/yakisoba0617/20070209/p1
「推し対象がメジャーになることを願って行動せよ」ということになるでしょうか。それは倫理として妥当ではありますが、しかし何年も先の栄光だけを思って推すというのはいかにも苦しそうです。それゆえに、ヲタは推す理由としてその人に、あるいはそのグループにしかない何かを探し求めることになります。それが「幼さ」だったり「距離の近さ」であったりすることが、(特に若い/幼い)ハロプロメンバーを、あるいはヲタ自身を傷つけることになるのかもしれません。
実際、精神的に疲れ果てたヲタというのが結構いるように思います。その原因は、対象が幼すぎたために自らの年齢に絶望したためか、仕事内容が期待に反するものであったためか、イベント参加のために手間がかかりすぎたか、グッズ乱発のためか、その他複合要因によるのでしょう。栄光の時を前にしてヲタが燃え尽きるというのは、なんだか焼畑農業のようです。焼畑農業は肥沃でない土地において長く地力の回復を待って耕作を行うもので、ヲタの精神力がそれほど強くない(かもしれない)ことを考えれば合理的ではありますが、あまりの多くの収穫を求めると破局を招くことになりかねないわけで、例えば現状のBerryz工房のレベルで利益をあげようとするのは無理があるということになります。


また、ヲタに対する縛りは、相対するハロプロメンバーを縛ることにもつながります。
http://d.hatena.ne.jp/yakisoba0617/20070209/p2
の、推しを替えることが苦悩を伴うというのは、「アイドルなのだから恋愛などせずファンだけを向いていろ」という有名な掟(笑)と裏表の関係にあると言えそうです。「俺がこんなに一途なのだからお前も一途でいてくれ」というわけで、あたかも相手を縛る一種の残念プレイのようにも見えますが、ヲタとしてそんな要求をしている(ことになっている)だけに、こちらから裏切るかのような行動はDDになれない*1人にとって苦しいのかもしれません。そうは言っても「アイドルだから(略)」と同様、ネタ空間でのみ成り立つ論理だと私も思います。
そんな「アイドルはかくあるべし」という枷を打破する手段として、ハロプロでは「お前らはアイドル(だけ)ではない」という論理が使われてきました。誇り高きハロプロメンバーならば歴代の先輩がいる、あるいは向かうところを目指すべきであり、Berryz工房℃-uteやTHEポッシボーの今いるところは安住の地ではありえないというわけです。そんな変化しなければならない宿命は一部のヲタにとって苦しいものなのでしょうか、やがてハロプロを離れてしまうこともあるようです。そのあたり、ヲタの言うとおりにはしないという意地がUFAの中の人にはあり、例えばAKB48にはないのでしょうか、だから「あっち」の方が素晴らしいという人たちがいることも仕方ないし、しかしそれを嘆くべきではないというのが私の考えです。
まあ同時に何人も推せないというヲタはやはり不幸なのかもしれません。そんな人たちを責める気はありませんが、ただUFAはそんな奴らに頼るなとは思います。

*1:推しが頻繁に変わる人を私はDDと呼びません。