受け入れるということ

http://d.hatena.ne.jp/utusemi/20070215/p1
矢口真里がファンの集いで言った言葉を読んで考えました。

あの時、モーニング娘。のリーダーが突然いなくなるという事態に直面して、残されたメンバーやスタッフはもちろん、ファンもまた混乱に陥りました。それを乗り切る過程で、モーニング娘。は新たなエネルギーを得ることができましたが、残念ながら矢口は敵役として位置づけられることになりました。

しかし、その後もハロプロの一員ではある以上、矢口無き娘。を受け入れなければならないのと同様に、矢口真里の生き様をも我々は受け入れなければならないのだと思います。あの時ハロプロを離脱していればあっさりと真実を語ってくれたのかもしれませんが、そうならなかったのは「多くを語らせるべきでない」という判断があったのだと考えられますが、矢口には長い苦しみを与え、周囲には「いつ許そうか?」と悩む日々をもたらしました。そして「刑期満了*1」というより「恩赦」として、ようやく歌う機会が与えられました。


一方で村上愛のことも思い出します。やはり本人の真意がよくわからないまま、こちらはハロプロから離脱するこちになりました。しかし「(引き金となった)あんな輩と同類になりたくない」という思いがあったためか、意外にあっさりと受け入れられたようです。この事件で騒いだのはその時点で℃-uteを推していなかった人たちであり、℃-uteヲタにとっては「学業との両立が嫌になったとしても仕方ない」という理性的な判断があったのでしょう。納得のいかない面はあるものの、℃ヲタは立派だったと思います。


どちらにしても、説明責任を求める主張がありました。しかしそれにより傷つく人が多くなることを嫌ったのか、多くは語られず、ファンに解釈がゆだねられ、そして多くのファンは前向きに事態を受け入れました。
それにしても、反証になりそうなものがあっても「矢口は娘。を愛しているに決まっている」「村上は芸能活動に疲れていたのだ」というように思わなければいけないのが真のハロヲタということでしょうか。そうなると、単推しもつらいけれど箱推しもつらいものですねえ。

*1:こう呼ばれることのつらさは承知の上で、比喩として使うことをお許しください。