花は短いが人生は長い

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ハロプロエッグの一人であった橋田三令が活動終了*1を発表しました。
この人に対する知識も思い入れも、私は残念ながらほとんど持っていませんので、一般的な話をします。


使い潰しと飼い殺しはどちらもいやなものですが、より悪いのはどちらかと考えると、一瞬でも輝くことを願う人は舞台に立つ側、それを見る側双方にいると思いますので、飼い殺しの方になるのでしょうか。しかし、人間の残酷さをより強く感じさせるのは使い潰しの方になります。
こんな抽象的な話からもう少し踏み込んでみます。使い潰しというと野球の投手を思い浮かべる人が多いでしょう。投手の肩は消耗品という考え方が広く定着し、往年の「権藤権藤雨権藤」のような過酷な投手起用はプロ野球では見られなくなりました。ここで使い潰すのが悪となるのは、逆に潰さなければ10年以上使えるからです。3年で終わる高校野球では今も過酷なままです。もっとも高校野球はそれだけで成り立っているのではなく、プロ野球への重要なステップだからこそ支持されているのだ、などの理由により、高校野球へもある程度改善の圧力は働いています。


芸能界における「消耗品」はというと、能力よりはイメージということになるでしょう。イメージに振り回されないための防衛手段として、「脱アイドル」や「アイドルを目指さない」というマネジメントの手法がとられることがあります。*2それではアイドルを求める大衆が困ってしまいます。*3
この話も深いのですが今日のところはここで止めます。


飼い殺し・使い潰しのどちらでも、「だめになった」とはどんな状態かは難しい問題です。しかし加護亜依をそこに含めることに異議は少ないと思いますので、これを「使い潰し」の一例とします。
これはまさに能力に問題はなかったのに、過去のイメージに引きずられて失敗した例と言えるでしょう。よく言われるのが「キッズ世代にかまけて」モーニング娘。卒業後の展開に力を入れられなかったという批判です。
また、飼い殺しの例にはみうな小川麻琴を挙げる人がいるかもしれません。いずれにせよ、そのような批判の背景には、あえて言えばファンのタレントに対する過信があると考えられます。


しかし、たとえば反町隆史はかつてジャニーズに所属していましたが、そこで芽が出ずに別のところに行って大成功しています。みうな小川麻琴はまだ若いのですし、石村舞波村上愛はもっと若いのです。「飼い殺された」なんて言うのはまだ早すぎます。しかし今後他の場所での活躍となると、たとえ芸能界であってもハロプロでなければ、多くのハロヲタの好みに合わない活動になる可能性が高いわけで、そこは惜しまれるところです。もっともハロプロがベストとは限らない(もちろんワーストでもない!)と考えていくべきでしょうか。

*1:本人の言葉を尊重しました。

*2:ここではアイドルの定義が「イメージ先行」になります。私を含め納得できない方は多いでしょうが、そういうことにしておいてください。

*3:そのせいか、近年はスポーツ界にアイドルを求める傾向が、おそらく世界的にあります。