残された者とは


前回のタイトルにある「残された者」は何かと言いますと…
これまで後藤真希に関わっていたスタッフ。すべてのハロプロメンバー、その関係者。後藤真希、その他ハロプロのファン。
など、思いつく限りのものはどれも正解です。


http://blog.goo.ne.jp/makiyuko_2006/e/8bbf679ac8ef782fca8c32749489191b

ちなみに、私が文中で使っていた“ごく一部のハロプロDD”とは、「ハロプロの子なら無条件で誰でも応援する」「ハロプロ以外の人は絶対に応援しない」「ハロプロが存続さえしていれば、その中のユニットや個々のメンバーなど、どうなっても良い」などと言う主張を声高に叫んだり実践しているような、個人的には全く訳の分かんない人たちの事を指しています。

正直そんな奴いるのか?と思います。不特定多数が集まる掲示板などを見ていれば、そのような風潮が感じられてしまうのかもしれませんが、そうであるならそんなのを相手にするよりは、ブログを持っているような個々のファンに注目するべきです。

そもそも、現在のハロプロの枠の中で活動する事って、後藤さんにとって幸せな事だったのでしょうか?
彼女がG-Emotion路線に辿り着くまでの間に、UFA後藤真希というアーティストに一体何をさせたかったのかが、私にはよく分からなかった時期がありました。

確かに、空白の時期はありました。しかしそれは無為に過ごした時間ではなく、大河ドラマ出演のために歌手活動の余裕がなかったのです。本業に支障が出ることを覚悟の上で、拘束時間の長い仕事を引き受けたことは、これまた一つの可能性の追求であり、できれば悪く思わないでいただきたく願います。

私は昨今のハロー!の世界を見ていて常に感じているのですが、ハロー!全体に関わる話は別として、個々のアーティストやユニットに関わる話をする場合に、そのアーティストやユニットのファンの声と、他のアーティストやユニットのファンの声と、ハロプロのDDの声を、同じ「ファンの声」として一括りにしてしてしまう事が、決して正しいとは思えないんですよ。

これ自体は全くもってその通りなのですが、当該メンバー/ユニットのファンが賞賛してそれ以外の人たちが文句を付けるという構図が常に当てはまるわけではありません。例えば、2年前のまさにG-Emotionが開幕した頃に発売された菅谷梨沙子の写真集に関して、水着グラビアの存在をもって「U-15グラビア過激化の流れに巻き込まれるな」などと非難していたのは、むしろ当時のベリヲタの方に多かったと記憶しています。
それは、メンバーの自由意志が(当該メンバーが年少であるほど特に)疑われているためだと考えられます。すなわち「当の本人よりも俺の方が推しメンのことを知っている」などと思っている残念な輩が存在することになるわけです。

これは単純に、“ハロプロから誕生した人”と“アーティストを目指して娘。に入った人”との違いでしょう。
ゴメンなさいね。
素っ気無い返事で。

松浦亜弥に対してそんな認識なのだとすれば、ちょっとがっくりです。

確かに後藤さんについてはその通りだと思いますが、あとの3人に関しては、そもそも放出しなきゃならんような理由なんぞ、ありませんから。

矢口真里の場合、本人が実際にハロプロ脱退を望んでいた節がありました。しかしその後他の事務所に拾われる危険を考えるとそれは避ける必要があったのだと思います。追放する理由がないというよりはハロプロ内にとどめておく理由があったのだということです。他の2人も、狼狽売り的に追放される可能性はありました。


まあ、見えている景色が私とは違うのでしょうが、そんなことで仲間割れするのはいかにも馬鹿馬鹿しいことなので、この辺にしておきます。


http://d.hatena.ne.jp/hatchman/20080628#p2
それから、はっちまんさんには「うらやましいですか?」とか言っておけばよかったのかな、と思いました。