DDダイダイ物語

実のところダイダイに語呂合わせ以外の意味はないのですが。


ある人の推しが増え/変わりそうになると、周囲の空気が悪くなるのはなぜか考えてみます。
いや、考えるまでもないことで、「あの子にもちょっと興味を持った」から「すっかりあの子に夢中」への距離が、往々にして非常に短いからでしょう。だから在来勢力の側としては、新勢力へのヲタの流出を警戒するわけですが、この論理は互いに「お前ら器が小さすぎ!!!!!1」と罵り合う根拠を与えかねないので、それをむしろ警戒しなければなりません。


ある人がA推しからB推しに移ったとします。これは必ずしも「AがBに敗れた」ことによるものではないと思われます。Bが非常に魅力的だったとして、それでも「A推し」を守れるかそうでないかというのは、AとBの比較よりはそのヲタの内的問題の比重が高そうです。これを「先輩への敬意が足りない」あるいは「後輩への優しさが足りない」*1と称するのは、一般論としてはありえないといえます。


しかし、歴史的経緯を思えば、そのような言葉が出てくるのもわからなくはないのです。
2004年の後半あたりを中心として、それまでのハロプロが嫌になって新勢力にすがる、という動きがヲタの間に広く見られました。Berryz工房はこれを利して勢力を拡大しました。あの時期の暗い感情は、今でもヲタ界隈に広く分布しているのだと思います。
そして今、例えばTHEポッシボーは「あの頃のBerryz工房」ほど急激には人気を伸ばせていません。これを「既にはまった側」から見ると、特に「はまらないことが信じられない」くらいに思っているような人にとっては、「今の推しに満足しているから動かない」というヲタは「冷たい」と捉えられるのかもしれません。
実はこれは、「新勢力推しから見た在来勢力推し」だけではなく「在来勢力推しから見た新勢力推し」にも当てはまることで、やはり「なぜこちらに目を向けないんだ」という疑問が生じます。そして、互いが「推せない理由」を推測したり弁明しようとする中で、知らず知らずのうちに悪口大会に発展してしまうことがあります。これが怖いのです。


このエントリは
http://d.hatena.ne.jp/under_hirosite/20080717#1216267423
に反応させていただきました。こちらで話題になっているのはキャナァーリ倶楽部のことなのですが、この問題を考えるには例えば「ベリキュー/ポッシキャナ」だけではなく、広くハロプロとその周辺勢力を眺めていただければと思います。なにしろ「後藤真希ハロプロ」をこれから両立しなければならない私にとって、非常に切実なのでして、はい。

*1:ここでの先輩・後輩とは、ヲタ同士の関係を指すのではなくハロプロ内での先輩・後輩です。