2ヶ月前に「後日詳述」と書いたことのさわり

視点をハロプロ中心に移します。
元来「アイドルはかくあるべし」のような思想は、アイドルなる概念の黎明期*1からあったものではなく、後になって競争激化から差別化のために台頭したものだと考えます。そしてその縛りのために80年代アイドル界は自滅したわけです。その後マイナスイメージが薄れるにつれアイドルは復活しましたが、80年代の亡霊は弱まりつつも90年代以降のアイドルと呼ばれる存在にまとわり続け、アイドル本人や関係者には「アイドル概念との距離のとり方」が課題となりました。
モーニング娘。は、アイドル性を多分に持ちつつ、その枠に囚われなかったことで成功したわけですが、関係者は成功しすぎたために不安があったのでしょう、2001年の5期メンバーオーディションで方針転換を図ります。それまでの猥雑なイメージから抜け出そうとしたのか、高橋愛という優れたパフォーマンスの素質を持ち、しかしどこか「堅い」ところのある少女に、ある夢が託されました。5期メンバーにはファンがなかなか定着せず、それゆえに失敗と評価されることになりましたが、その後モーニング娘。に対する方針は修正されつつも、その夢も依然捨てられず、その(おそらく一部スタッフの)こだわりのためにモーニング娘。は現在も苦労している印象があります。
そして、ハロプロは新たな開拓地を求めます。そのために、より明確に処女性を意識しているであろうBerryz工房が登場しました。その意図は一定の成功を見ましたが、やがて頭打ちになるに至り、モーニング娘。などとの間に(主にファンサイドで)軋轢が生じました。そこからハロプロ内で処女性が求められるグループと求められないグループに分ける発想が生まれました。

(続く)

*1:ビートルズなどの時代です。