もうひとつのトリアージ

人間の倫理は非理性的か:「トロッコ問題」が示すパラドックス
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html

5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。

多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。

しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。[この問題は「The fat man」と呼ばれるもので、Judith Jarvis Thomsonが提案したトロッコ問題のバリエーション]

私の場合、前者でも「1人死ぬ方がまし」と割り切ることはできないと思います。犠牲者が人間ではなく犬なら割り切れるかもしれません。
割り切ることができないがゆえに、問題の前提を問い直そうとする人も多いようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html


ただし、現実の問題の比喩としては、結果がはっきり予想できる状態でジレンマに悩むケースよりは、選択の結果が予想できないまま選択を迫られたり、選択肢もさっぱり見えないなどのケースの方が多いと思います。

例えば、私は「1人」が加護亜依で、「5人」がBerryz工房*1なんて絵を想像します。これは別に「一方しか生き残れそうにないので、どちらに力を入れるべきか」という考察があったわけではないでしょうし、そんな選択があるとしても決して「0か1か」ではないでしょう。ただ後日の視点から、現実の「それなりに成功しているBerryz工房」と、空想の「もっと成功できたかもしれないW(ダブルユー)」があるだけです。


ところで、この問題はトリアージに似ていると思うのですが、トリアージといえば半年ほど前にこんな話題がありました。

ケーキを売ればいいのに - 福耳コラム
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127
あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞
http://d.hatena.ne.jp/toled/20080523/p1
かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

私は政治思想においてはどちらかというと右寄りですので、ホロコーストまで持ち出された議論には戸惑いもありましたが、それでも「かわいそう」という思いには好意的だったのは、上記の加護亜依が頭にあったからでした。
それにしても、今回の話題でははてなブックマークトリアージに言及したのが私だけで、またトリアージ問題で中心だった方々の言及が見られないというのは、「トリアージは地雷」と広く認識されているということでしょうか。

*1:実際はもう少し人数が多いのですが。