「やらない」ことの意地

しばらく「LIVEツアー」はやらないつもりです。少な
くても2、3年は、と考えています。

ここ3年くらいのんびりと音楽活動をしてきました
が、今年の冬からはできるだけたくさんの歌を、曲を
作品として皆さんに届けられるように、レコーディン
グなど製作することに集中したいんです☆

http://blog.oricon.co.jp/ayablog/daily/200908/26


松浦亜弥は先日ツアーを終えて充電期間に入ったわけですが、今までやっていたことをしばらく止めるということにはそれなりの意図があるはずだと思いますが、「やること」の意図はそれを見ればある程度読めるとしても「やらないこと」についてはそれができないわけで、「何かあるはず」で納得するには不安が残ります。


状況は大きく違うものの「やらない」ということの意味を考えるのにいい例があります。

今日は謝らなければいけないことがあります。

8月の17、18、19の3日間で予定していた『ダイヤル38』の大阪公演を、中止することになりました。

ボクの周りでは「ひとまず延期」という言葉が使われていましたが、今のところ先の予定があるわけでもないし、この状況でそういった言葉を公表してしまうと、余計な期待を持たせてるだけ持たせてしまって、実現できないという場合もあるので、「中止」とさせてください。

理由は色々とあるのですが、簡単に言ってしまうと、ボクがキレちゃったということです。

実現に向けて汗を流してくれていた人もいるし、関西のお客さんからは、「待っています」というたくさんのお手紙をいただきました。本当に多くの人の気持ちを裏切ってしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみません。

もう少しボクが我慢すれば、誤魔化しながらの公演をすることもできたのでしょうが、それじゃ東京公演よりあきらかに質が落ちてしまうし、やはりお笑いを作ろうとする人間として、どうしても許せない部分がありました。
http://nishinoakihiro.laff.jp/blog/2009/06/post.html


よくわからないもののやっぱり意地があるのだろう、くらいしか読み取れないのですが、キングコング西野のブログを読むと見た目に反して笑いに相当なこだわりを持っていることがうかがえます。それに実力・実績が伴っていなければ叩かれるのも仕方ないでしょうが、その点は私は問題ないと思うもののやはり見た目のためか実力を疑われることが多いようです。


芸能界は実力主義年功序列が同居しているところで、それゆえ売れている若手は先輩の嫉妬を受けることが多いなりそれに数多くのタレントが苦しめられてきたわけですが、「天狗の鼻をへし折ってやる」という気分は世間にも少なからずあり、しかもネット文化が(いわゆるモヒカン族の考え方はそれを忌み嫌うはずなのに)より強化してしまったというのが大いなる不幸と言えます。


松浦亜弥の場合は、むしろハロプロの事情により強制的に世代交代させられたという感がありますが、「事務所内での立場がよくない」というのは共通するようです。そして吉本もハロプロも(他のところでも多いと思います)、事務所的に力を入れてやろうとしたことは大抵うまくいかない印象があります。いずれにせよ、タレントに活動への不満があるならば本人の力で乗り越えるのはもちろんですが、周囲のスタッフと、そしてファンがうまく支えることが必要でしょう。


参照:西野亮廣へのとあるファンの想い
やはりどう考えても、この件で西野がネットで叩かれる理由はない - 昨日の風はどんなのだっけ?