アイドルという魔物 VS モーニング娘。という伝統

アイドルというきわめて多義性を持った、いわば魔物に翻弄されあるいは格闘してきたのがモーニング娘。の歴史ではないかと思います。


モーニング娘。が駆け出しの頃の1998年一杯で終わらせるつもりだったと言われる時期には、もちろんモーニング娘。に確固たる伝統はなかったわけですが、一方でアイドルという概念に縛られることも少なかったと思います。やがて人気を確立していく中でアイドルと呼ばれることが多くなりましたが、その中には広い意味でアイドルと呼ぶ人たちと、伝統的なアイドル文化の継承を期待する人たちがいました。そして後者がモーニング娘。のイメージに縛りをかけようとする中で、伝統的アイドルのイメージから遠い所にいた初代リーダー中澤裕子が卒業後も娘。の伝統の軸として対峙することになります。


そして、モーニング娘。の勢いは長くは続かないだろうという予想のもとで、それを元手に新たなアイドルを売り出すか、それとも娘。のさらなる可能性に賭けるかというところで、はっきり片方の方針が選択されることはなく両にらみが続きました。一時期はモーニング娘。が終わってもハロプロが続く道を考える方に傾いたこともあったと思いますが、やがて娘。の伝統の強みが感じられる事件が起こります。それが皮肉にも新勢力であったハロプロキッズにも関わってきた矢口真里の脱退でした。


正直なところ、モーニング娘。などという色物イメージのあるグループより、松浦亜弥のような正統派アイドル志向の方が普遍的な価値があるはずだという考え方はありうるものだと思います。そしてモーニング娘。にも色物を脱して歌の実力で見せるようにしようという試みがなされました。娘。の方が迷いがありながら今もそうした動きが続いていますが、松浦亜弥の方はやがてイメージを背負いきれなくなりました。そんな中で、注目すべきは色物ということから生まれる一種の不思議なパワーで、これがピークを過ぎてからも現在に至るまでモーニング娘。を支えています。


実は、私はアイドルと呼ばれる存在は好きなのですが、そうした人たちを時に苦しめてきたアイドルなる概念には違和感というか恨みもあります。そしてタレントやファンを苦しめることのないようなアイドル概念の再構築という夢をモーニング娘。に託してきました。モーニング娘。が続く限りは、あるいはそのメンバーが芸能活動を続ける限りは、まだ完全にその夢を捨てないでおこうと思っています。