想像を超える風と光…そこに誰もいなくても

いやあ、縦読みって作るのも楽しいものですね。しかし問題はどうやってほのめかすかでして、ベタに「ねこだいすき」と書くと誤答につながりますし、大阪では南北の道を筋と呼ぶことから日付横に「筋書きは〜」と入れてみました。それより改行の不自然さから分かるやろ!

勇者の孤独

http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20081224/p1

広く反響を呼んでいますが、大まかに把握されたければ
http://d.hatena.ne.jp/RPM/20081228/1230413027
にネタっぽくまとめられておりますのでご覧になるとよいでしょう。

学問とスポーツ・芸術の違い

学問ができることは段階に応じてそれなりに金になるが、スポーツ・芸術はよほどずば抜けてできなければ金にならない、というのが最大の違いでしょうか。そのために学問では「みんなが敗者」であるが、スポーツなどではかなり高いレベルに到達して初めて敗北感が生じるのだと思います。例えば野球では甲子園に行けると期待される高校でレギュラーになるあたりからでしょうか。この辺が嫉妬を生むかどうかの分かれ目と思われます。

学問もスポーツもない問題

しかし、私はジャンルに関わらず共通するものがあると思います。それは「すでにある道を行くこと」と「未開の野を行くこと」の違いです。
学問を志した人なら、一度はこんなことを言われたことと思います。
「今は答えの分かっている問題を解いているが、やがて答えの分かっていない問題を解くことになるのだ」
しかし「答えの分かっていない問題」に挑むところまで学問を続ける人は少数派です。それゆえに「道なき野を行く」ことの価値が世間にはなかなか理解されにくいのだと思います。
スポーツでも、プロ選手になったくらいではまだまだ「道なき野」には届いておらず、その域に達するのはそれこそイチローなどの本当のトップクラスのみでしょう。
いずれにせよ、共通するのは「勇者の孤独」です。学問の勇者は就職で苦労させられ、スポーツの勇者は往々にして対マスコミで苦労させられます。対マスコミというとイチロー中田英寿が思い浮かびますが、
表現力の浅田真央、演技力のキム・ヨナ - 殿下執務室2.0 β1
の最後の方で書かれている浅田真央の微妙な扱われ方もその一つでしょう。
ただ、ここから「日本人は天才の扱いがうまくない」とつなげるのは留保が必要かもしれません。そんな壁にかかわらず、世界トップレベルで活躍する日本人は各分野に多数いるからです。
勉強しか取り柄がなかった私から。「逃げよ。」 - michikaifu’s diary
でいう「逃げる」ところが、日本の中にもあり、場合によっては海外に行くこともできるからでしょう。もっとも、貧しい世帯ほど「逃げる」のは難しいという格差問題があるわけですが、しかし格差是正を主張する人たちの動きはむしろ天才を潰す方につながっている印象もあります。