5期メンバーとは何だったのか(前編)

モーニング娘。の歴史において節目の世代というべき5期メンバーのたどった道を、いつかじっくり書こうと思っていました。しかしなかなか書く機会がないまま「高橋愛モーニング娘。を卒業するまでには」と、来ないかもしれない日を漠然とした目標にしていました。そして来る時が示され、その日が迫ってきた今、ようやくその道程を記すことにしました。


その始まりは2001年でした。当時、モーニング娘。時代の寵児でした。また内的にも一つの完成形と言える状態にあり、それゆえに却って次の一手が問題になりました。一方では結成の当初にあった一種の尖ったところが失われたという主張もあり、新たな「尖り」を、母体であったASAYANから離れていかに生み出すかが課題であったのかもしれません。


一つの方法は、アイドルと見られることを受け入れながらも一流のパフォーマンスを目指すという、忘れられかけていた*1コンセプトの再強化を図ろうというものでした。5期メンバーにおいては主に高橋愛、あるいは小川麻琴にその役割が期待されていたと思います。
もう一つは、当初のアイドルないしタレントとして洗練されていなかったがゆえの荒削りの魅力を再現しようというもので、それを体現していたのは何と言っても紺野あさ美でした。


そんなわけで、5期オーディションにおいてはその時点でのスター性は度外視されていたと考えられます。ただしそれは、5期は失敗だったのではないかという批判を生じました。特に新垣里沙*2へのバッシングは苛烈でした。4人が壁に苦しんでいた中で少しでもチャンスを与えようとしたのか、ユニットの再編が行われました。


しかし、2002年の再編は、それまでのユニットの歴史を踏みにじるものと受け止められました。あの「タンポポ畑」と呼ばれた、その後恒例化したサイリウム祭りの嚆矢となった出来事も、新たに入るメンバーにとってはむしろ悲劇でありました。そして5期メンバーはさらなる苦難の道を歩むことになったのです。

*1:忘れられてはいても消えてはいませんでした。辻・加護にしても決して歌唱力において劣っていたわけではありません。

*2:出演していたCMが5期メンバー決定を伝える番組で流れたという間の悪さゆえに、その後長く苦しむことになったのでした。